会社情報
- 名称
- 株式会社 丸井スズキ
- 代表取締役
- 鈴木貴博
- 所在地
- 【事業本部】
〒121-8611 東京都足立区南花畑4丁目17番15号
TEL:03-3850-2201(代表)
FAX:03-3884-7126
【本社】
〒103-0001 東京都中央区日本橋小伝馬町16-9
TEL:03-5831-6621
沿革
- 明治25年
- 初代・沢村新太郎、当代一の大店である入村商店にて奉公
- 明治28年
- 入村商店より独立。神田紺屋町に沢村商店創業。
金平糖の製造と問屋を併行。東京では初めてのガスを使用した新工程を確立したと言われる。
- 明治35年
- 沢村商店、福田町に移転。製造10名、営業7名に拡大。
- 明治42年
- 二代目・鈴木九蔵、沢村商店に入社。
- 大正2年
- 沢村商店、亀井町(現代の小伝馬町)に移転。
- 大正5年
- 鈴木九蔵、沢村新太郎の娘・慶子と結婚。
- 大正11年
- 鈴木九蔵、独立し浅草猿屋町に鈴木商店を創業。問屋を専業とする。
- 大正12年1月
- 鈴木九蔵、沢村商店に復帰。正式に二代目となる。合名会社沢村商店に改組。
- 大正12年9月
- 関東大震災勃発。店が灰儘に帰す。鈴木九蔵家、故郷の名古屋に旦移り、同地に仕入部を設けて名古屋商品を東京に海路輸送。品物不足の東京に地方商品を供給し手形決済するという、当時あまりなかった流通の新方針を打ち出す。
また、馴染みのない商品の拡売のため、展示会.招待会を多数開催、取扱商品の個性化と販売力の向上に伴い、大正13年の店の復興以降、問屋専業となる。
- 昭和元年この頃、仕入ルート・販路をほぼ本州全域に拡大。
また、自社で型を工夫したビスケットを製造メーカーと共同開発し大ヒットさせる。
- 昭和3年
- 三代目・鈴木章次、沢村商店に入社。同年、初代・新太郎死去。
- 昭和10年
- 輸入禁止に着目し、国産ミシンの製造販売に成功。(ニッチ市場の開拓)
- 昭和14年
- 鈴木章次、鈴木九蔵の娘・諒子と結婚。専務として実質経営者に。
- 昭和15年
- 二代目・鈴木九蔵死去。
- 昭和14年~18年
- 昭和13年の国家総動員令以降の統制生活に加え、昭和14年の価格停止令により、菓子は停止価格以上で販売できなくなったが、民心は菓子に心の糧を求め、売れ行きは相当なものであった。
が、やがて原材料の統制枯渇につれ菓子も配給制に。商品不足により開店休業状態のまま、鈴木章次の応召(昭和18年3月)により店は一時休業となる。
- 昭和20年
- 東京大空襲により店は壊滅状態に。
- 昭和21年
- 復興のさなか、当時関西から流通の始まったキャラメルを関東で拡売し再建の礎とする。
現金不足の中、仕入先には売上後決済を、得意先には前金購入を認めてもらうなど、
ここまで三代に亘る信用が興隆の裏付けとなった。
- 昭和22年
- 個人商店として正式に再興。
- 昭和25年
- 株式会社丸井鈴木商店に改組。鈴木章次、代表取締役に就任。
- 同時期ころから、地方の製造メーカーと共同で、流通ベ一スや関東のマーケットに合わせた形の商品開発を行い、「サンクレイン」のブランド名で所謂PB商品として販売。菓子業界ではPB開発の走りであった。